From:堀北晃生
丸ノ内のオフィスより、、、
こんにちは、堀北晃生です。
ある経営者の
面白いストーリーをご紹介します。
その経営者の名前は、
「栗原五郎」さんです。
広島県出身で
父親はお医者さんでしたが、
裕福な暮らしとは程遠く、
貧乏な幼少期だったそうです。
高校に進学すると
いじめに遭います。
そこで自分を強くしようと
ボクシングを
習うようになりました。
ボクシングが向いていたようで、
高校3年生になると
1964年に開催された東京オリンピックの
バンタム級強化選手に
選ばれるほどになっていました。
すごいですね。
このときは、
ボクシング選手も
考えていましたが、
プロへの道を諦めて
大学に行くことにしました。
大学では、
勉強よりアルバイトに明け暮れ、
奥さんと出会い、
学生結婚をしました。
大学卒業後は、
奥さんの実家の家業である
養殖業を継ぎます。
しかしそこには、
大変な状況がありました。
義父に頼まれて両親や兄たちに、
700万円ほど借金をしたが
経営は上向かない。
実家は潰れかけているのに、
義父は拡大路線を曲げず、
さらに借金を要求してくる始末。
そして、
養殖業をついに3年で倒産。
最後は夜逃げしかなく、
奥さんと息子を連れて、
東京へ逃げてきました。
アパート暮らし、
持ち出したお金は、
家族三人が暮らしていく
ギリギリの状態でした。
1日も早く仕事を見つけないとと思い、
知人から聞いて始めたのが、
百科事典の飛び込みセールス。
完全歩合制でしたが、
全然売ることができず、
自分にセールスの能力がないことを
感じて半年で退職しました。
「俺は運も無ければ能力もない、だめな人間だ」
と絶望します。
しかし、家族を養い
借金を返さなければいけないので、
仕事を探さないといけません。
そして、
次に見つけたのが、
チリ紙交換です。
助手席に妻と長男を乗せて
ドライブを兼ねながら、
年中休みなく働き、
月給30万円以上、
稼げるようになりました。
そんなある日、
日曜雑貨の移動販売に出会います。
公民館へ主婦がぞろぞろ入っていくのを見て
不思議に思い覗いてみると、
台所用品や家庭用品、
食品など各種雑貨が
並べられていました。
主婦たちがワイワイガヤガヤと
買い物をしています。
店員らしき男性に近づいて聞くと
自分たちは、全国津々浦々に出かけて
公民館を借りて、現金商売をしています
と答えてくれました。
これを聞いて
「これやな!」と思うなり、
働かせてくれと頼み込んで
翌日から働きました。
しばらくして、
広島の地盤を買い受けて、
1972年3月の28歳の時に
移動販売を夫婦で創業します。
2トンのトラックに
商品を積んで移動し、
ベニヤ板に
商品を並べて売っていました。
ある日のこと。
天気のせいで予定していた売り場に
少し遅く着くことになってしまいました。
そこには、
自作のチラシの効果もあってか、
すでにお客がつめかけていました。
開店準備が間に合わず、
「これ、なんぼ?」
と聞いた客たちに対して、
「100円でええよ」
と答えました。
大量の商品に
値段をつける時間がなかったので、
どれもこれも100円
にしてしまったわけです。
さあ、これであなたは
なんの会社かわかりますか?
その会社とは・・・?
そう、
世界のダイソー
です!
そして創業者は
矢野博文氏になります。
冒頭で紹介した
「栗原五郎」というのは、
改名する前の名前です。
結婚する際に、
奥さんの名字である「矢野」になり、
「五郎」という名前は、
姓名判断の先生に相談して、
「博文」に変えています。
この100円均一の商売は
うまくいき始めますが、
矢野氏には、また苦労が訪れます。
従業員も徐々に増え、
大きくなってきた矢先に、
突然の火事に見舞われます。
自宅兼事務所が燃えて、
トラックから商品から
何もかもが燃えてしまったのです。
これにはさすがの矢野氏も
寝込んでしまったそうです。
そこからなんとか復活して、
広島の大手スーパー・イズミへ。
店頭販売の話を持ち込んだところ、
なんと3日間で330万円を売り上げました。
その後、スーパー進出も順調にいって、
原価の高い商品を揃えた矢野商店は
客を惹きつけ、
競合他社に競り勝っていきました。
そしてついに
東京にも進出していき、
イトーヨーカドーでの店頭販売も
大成功を収めました。
その後に、矢野商店は、
「株式会社大創産業」
と名前を改めて法人化します。
「大創」は占い師に
名前だけでも、
一回り大きくしたいと
相談して決めたそうです。
自分の名前もそうですが、
社名すらも姓名判断の専門家に
相談していたのが、驚きですよね。
ただ、社名が
現実のものとなるのです。
今や、ダイソーは
全国4,360店。
海外25の国と地域で
990店を持つ
業界最大手に成長。
2023年2月期の売上高は
5891億円。
取り扱い商品は、
7万6000アイテム以上に。
創業当初「死ぬまでに年商1億円に」
を願っていた矢野氏の夢は、
今日ダイソー全店合計で、
1時間で達成されるまでになりました。
本当に素晴らしい業績ですね。
残念ながら、
矢野氏は2024年2月12日に
心不全で亡くなりました。
享年80歳。
矢野氏の語った言葉の中で
好きな言葉があります。
「先見性があるとか人を見る目があるといいますが、
そんなものが人間にあるはずがありません。
ただ普段から必死にやっていると、
運があとからついてくるのです」
本当に素晴らしいストーリーですね。
あなたは、この矢野氏の人生から
何を学び、どんなことを取り入れたいと思いましたか?
人生は一瞬のインスピレーションで
どうにでも変わる。
あなたの人生における奇跡は
これから始まります。
追伸:
矢野氏のストーリーを見ると、
まだまだ努力が足りないなと
つくづく感じます。
恥じないような生き方をしていきたいと
強く感じます。
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■堀北晃生(ほりきたあきお)プロフィール
大暴落相場で大損…と悔しい思いをしてきた投資家を、最短6ヶ月で「勝率8割・平均10%以上のスキルをマスター」させる投資コンサルタント堀北晃生です。「割安株を見つけるためにいろんな情報を集めたが、思ったように利益を出せなかった…」と悩んでいる投資家に、3年間毎月のように成功実績が上がっている実績を元に、「4つのチャートテンプレート」を見るだけで、面白いように利益を出せるようになる「魔法の投資戦略」をお伝えしています。「株式投資で利益を出したいが結果が出ない」や、「塩漬け株から脱却したい」などのお悩みをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ無料WEBセミナーに参加してください。
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・ジャパンインベストメントスクール講師
・大衆心理の裏を突く「空売りの魔術師」
・次世代金融システムのファシリテーター
全国トップ5%に入る富裕層向けの資産運用アドバイザーとして外資系のプライベートバンクで2004年より活動を開始。
資産運用や投資顧問会社へのコンサルティング、個人投資家向けのクローズドな情報発信に携わる。
そこで培った知識と経験が評価され、現在は個人投資家からプロトレーダーまで、投資のアドバイスや情報発信を行っている。
プロトレーダーと個人投資家の情報格差を埋めるために、シークレット勉強会を少人数で展開しながら、大学との共同研究で急騰株の天井から空売りを仕掛ける独自の手法を開発。
民間企業の資産運用コンテストで500万円を15億円まで増やして優勝したことも。
こうした活動を通して、日々変化する投資の世界においてナンバーワンであることにこだわり、株式市場の最先端をリードする活動に情熱を注いでいる。