人生と目的

2015.3.28
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From:中野英
都内の自宅より、、、

春らしい暖かさが、
徐々に表れてきましたね。

しかし突然、真冬の気候に
逆戻りしたりして、自分の周囲も
体調を崩している方が増えています。
 

あなたは、体調を
崩したりしていませんか?

ちょっと今日は、
自分がディーラーになろうとした
経緯について書こうと思います。

自分は、生まれてこの方、
東京の池袋育ちです。

とても静かな子供で、
初めて言葉を口にしたのが3歳の時。

『もしかしたらこの子は、先天的に口が
聞けない子供なんじゃないか?』
と、とても心配したそうです・・・。

そんな自分が、生まれて
初めて興味を持ったものが《計算機》。

《0歳》当時から、計算機を
いじるのが好きだったらしく。

もの心付いた時には、《÷》以外の
計算が出来ていたのを覚えています。

言葉の前に、《計算》を
覚えてしまったんですね(笑)

そんな『数字好きな人生』を
歩んできたのですが、なぜか
大学は《法学部》。

これが大失敗(ノД`)・゜・。

まったく性に合わず、
一年目は半分休んで、
単位は2(卒業までに128単位必要)。

2年目は、休学して、北海道で
ヒッチハイクしながらさすらったり(゚Д゚;)

警察に呼び止められ、『高校生』と
身分を詐称してしまったが故に、
《家出少年》として一日保護されたり(@_@;)

(食事を恵んでもらうのに、
《高校生》という肩書きが、
非常に有効だったんです(^^;)

10月末の釧路で、霧で何も見えない
気温0.1度の中、半袖シャツ一枚で
野宿して、死にかけたり(ノД`)・゜・。

その後のディーラー時代の
さすらい人生は、既にこの頃、
運命づけられていたのかもしれません(笑)

その後大学復帰し、
無事3年かけて卒業したのですが・・・

祖母が希望する就職先は《公務員》でした。

懐かしき、《第一次就職氷河期》の
真っ只中だったので。

ただ、《法学部》でうんざりして、
お堅い仕事には就きたくなかったんです。

そこで、自分が
選んだ就職先が《証券会社》。

最も、《堅実さ》と縁がない(゚Д゚;)

長い間(今でも?)
不人気業種№1の(@_@;)

証券会社(ノД`)・゜・。

もう投資歴《60年》くらいに
なるのでしょうか?

現在《88歳》。

今でも《為替・株式・債権》を
持論に基づいて取引している、
現役投資家の祖母。

幾度かの相場の荒波を
乗り越えてきたそんな
祖母だからこそ、猛反対(; ・`д・´)

しかも、
そんな不人気業種でも、どこも
倍率は《20倍》を超えていましたから。

挫折しかけました。

そんな時、夜明け前まで家族ぐるみで
話し合ったある日の《弟の一言》が、
自分の人生を決めたのかもしれません。

※『ディーラーになった、
カッコいい兄ちゃんを見てみたいよ』

その言葉に後押しされ・・・

幸いにして、面接で専務と喧嘩するような(!?)、
こんな変わった自分を採用してくれる
会社に恵まれました(^^;

ちなみに、採用理由は・・・

☆ 変わった人間だったから

・・・だそうです(@_@;)(笑)

入社しての配属先は、大口の
委託注文を発注したりする部署。

『ディーラーになりたい』とアピールして
入社したからなのですが、新人が
配属されたのは、自分が初めてだったそうです。

『期待されてるのかな?』と、
勝手に思い込んでいました(笑)

相場の世界に生きる上で欠かせない
《精神力》を保つために、今も
大切にしている『根拠なき自信』。

それは、この頃に
芽生えたのかもしれません。

今はもう、見るのが
仕事の一部でもある《板》。

そんな板も、初めて見たのは、
配属された《その初日》でした。

でも不思議なもので、
説明される前に、一目見て
《全てを理解した》のを覚えています。

余談ですが、麻雀も、小学生の時に
ゲームの画面を見て、1時間で覚えました。

やはり、脳の機能の中でも、
《数字》にまつわる部分が
強いのかもしれません。

その部署で、9か月ほどお世話になり、
一年目の12月に《証券運用部》に転属。

『ディーラー』としての人生が、
始まったわけです。

当時その会社は、
成績優秀だったディーラーのほとんどが
人材流出してしまったあとで(´・ω・`)

《運用資金枠》から見ても、非常に保守的な
会社だったこともあり(流出理由の一つ)、
ほとんどの方が、月の収益《100~200万》。

そんな環境の中で『月《1000万》』レベルの
実績がある人は、《先輩一人だけ》という状態。

当然、先輩にも、好待遇の移籍の
お誘いが絶えず来ていたのですが・・・

※大学中退の自分を採用してくれた、
社長への恩義があるから

・・・そう言って、頑として、
その会社にこだわり続けた先輩。

その先輩も、『ディーラーの職業病の
一つ』である《パニック障害》という、
非常に厄介な精神病にかかった直後でした。

そんなある日、ポツンと取り残された先輩に、
常務が『ディーラーを育成してくれないか?』
と頼んだそうで。

※『新人だったらやります』

それが、先輩の返事でした。

そして、選ばれたのが自分(´・ω・`)

その会社では、月初にそれぞれ、
目標を設定する決まりがあったのですが・・・

先輩以外の皆が《200万》と
設定するのに対して、自分の
最初の設定が《500万》

初日にして、先輩以外の
《ディーラー皆》&《部長》が、
『敵』となりました(笑)

本当に『優しくて生真面目な
トップディーラーの先輩』と、
本当に『破天荒で無礼極まりない新人の自分』。

そんな《凸凹コンビ》の
喜怒哀楽の日々が、
ここに始まりました。

続きは、また機会があれば。

中野英

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