1980年代のバブルその1

2024.3.6
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From:奥村尚
東京のオフィスより、、、

バブル相場の
過去のおさらいを
続けています。

今回は
1983年から
1987年にかけての

いわゆる
伝説のバブル
発生している時期です。

この期間は
長期間にわたって
株価上昇しました。

6年半にも及ぶ期間でした。

この株価上昇のスタートは
1983年3月です。
昭和58年でした。

1983年が
どんな年だったかというと。。。

東京ディズニーランドが
開園したのは4月、

任天堂がファミコンを
発売したのが7月、

マイケルジャクソンのビートイット
ポリスのエブリーブレスユーテイクがヒット
フラッシュダンスなどの映画がヒット

そう、古き良き時代、といって
ピンとくる人もいるかもしれません。

この時代の日経平均の推移を
確認しておきましょう。

1983年3月1日の
日経平均は7989円でしたが、

株価は順調に
価格を上げていった様子が
わかると思います。

この時の首相は
中曽根康弘、
(在任1982/11/27-1987/11/6)

米国大統領は
ドナルドレーガン在任
(1981/1/20-1989/1/20)です。

米国は、
レーガノミックスと呼ばれた
経済政策を進めました。

これは、
経済活動における規制の撤廃で
自由競争を強化を行うものです。

インフレを抑えるために
金融引き締めを行い、
軍事予算強化(スターウォーズ計画)も行ったため、

巨額の財政赤字となりましたが、
経済成長は復活しました。

日本では、
対外的な国内市場の開放による
輸入拡大が行われ、

規制なども緩和されました。

海外から日本人の働きすぎと
過剰な貿易黒字が避難され、

週休二日制が
広がりを見せたのもこの時期です。

規制緩和と並行して
行政改革も行われ
財政支出の削減も行われました。

NTTや専売公社の改革も行われ、
日本経済は物価安定しつつも
発展した時期です。

特に1985年以降は、
長期にわたって好景気が続きました。

その理由は、
政府の財政ではなく
民間の設備投資によるもので、

内需拡大型である点が
今までと異なる景気でした。

設備投資は、半導体、自動車、
オフィスやリゾート施設が中心で、
内需比率が上昇しました。

VTRが普及機に入り、
CDが登場した時期でもあり、

家電は好調、
円高による輸入車の激増もあり、
非常に経済が回ってゆきます。

失業率も低下し、有効求人倍率も
0.5台から1を超えてきたため、
人手不足にもなりました。

構造改革が経済効果を
生み出したわけです。

海外旅行者数は増加、
スポーツクラブ需要も増加、
グルメブームもあって外食も活況でした。

特に1986年1-4月にかけては、
公定歩合が3回にわたって
下げられたこともあって、

1987年1月には2万円に乗せました。

金利低下の影響で、
不動産バブルが起きたのもこの時期です。

1987年時点で、
日経平均のPERは
50倍を超えていました。

同じ時期、PERを見ると
NYダウは14倍、
旧西ドイツでは11倍弱だったので、

海外と比較すると
割高であったことがわかります。

一方では、
不動産価格の上昇によって、
企業保有する資産価値が高まったのは確かです。

Qレシオ
(一株当たりの純資産を時価評価し、株価で割ったもの)
は1を上回っており、

株価はこの時点でも
割安であったという見方も出来ます。

この年、私は証券会社に入社したのですが、
まだまだ上がる
という主張が支配的でした。

実際、その後も順調に伸びたのです。

しかし、
1987年10月に大暴落が起きます。

ブラックマンデーです。

この時の話は、次回に続けます。

 

奥村尚

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