From:奥村尚
東京のオフィスより、、、
日経平均は
4万円を安定的に保っています。
4月に入っての勢いも
止まっていません。
ただ、昔から株をやっている人の中で、
一定の割合の方は、
1990年の悪夢を
記憶している人が多いのです。
その中には、
1989年の悪夢は再現される
と固く信じている方が多く、
今回はその当時の話を
してみようと思います。
まず、1989年の
日経平均の推移をみておきましょう。
1989年、大発会は
30243円で引けました。
1988年の大納会の引けは、
30159円です。
この年は、
かなり大きなイベントがありました。
まず、正月明けそうそう、
1月7日に昭和天皇が崩御され、
昭和が終わりました。
翌日から平成になった年です。
8月に海部内閣が発足します。
11月にベルリンの壁が崩壊します。
この時点での日経平均は35667円。
発会から、実に18%も上昇しています。
そしてそのまま、年末大納会で、
38915円という極みをつけ、
1年を終えました。
1年間の上昇率は、29%です。
この年起こったことは、
バブル景気でした。
1989年を迎える2、3年ほど前から、
不動産が投機対象になっていました。
その資金源は、銀行です。
銀行が、低利で土地を担保に
資金を貸していた時代です。
土地をもっている人は、
自分の土地を担保に金を借り、
不動産を買いまくっていました。
土地ころがしと呼ばれる転売、
規模の大きい土地にするための
地上げ屋なども絡んで、
どんどん値上がりしました。
不動産バブルです。
その資金は、
株式市場にも回ってきて、
株がみるみる
上昇していったわけです。
しかし、日本経済もまた、
絶頂を迎えていたのです。
不動産バブルが起きている点で、
今と共通点があることもわかります。
全く異なるのは、
世界の中の経済力の地位でしょう。
1989年時点で、
GDPは、世界二位。
(1位米 3位独 4位仏 5位英)
当時は、
G7が国家として
世界経済の主要プレーヤー
であったこともわかりますね。
そして、決定的なのは、
ひとりあたりの経済力です。
この年日本は、
ひとり当たりのGDPも、
世界二位になりました。
名実ともに、
日本経済は極みに達していたのです。
株価が上がったところで、
それは当然である
と考えて当然の状況でした。
次回は、
我が世の春は、あっという間に崩壊した
という話に続きます。
奥村尚

・ジャパンインベストメントスクール講師
・マーケット アナリスト
・マーケットの魔術師
20兆円もの運用資産をもつ米国大手ヘッジファンド株式投資部門スーパーバイザー、自身も日本でヘッジファンドを主宰。日本証券アナリスト協会会員。
1987年、都立大学大学院工学研究科修了(テーマは人工知能)。日興証券入社。投資工学研究所にて、数々の数理モデル開発に携わる。スタンフォード大学教授ウィリアム・F・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)なども手掛ける。
2000年 東証マザーズ上場第一号のインターネット総研で金融事業を統括。
2002年 イスラエル天才科学者とベンチャー企業設立、人工知能技術を商用化し空港に導入。
2004年以降は、金融業界とIoT業界の交点で活躍。最先端の人工知能とアナリストの相場適応力を融合させた投資モデルMRAを完成し、内外の機関投資家に提供する。この投資手法は、最低25%/年以上の収益を「MRAを使う誰にでも」もらたしている(一度も元本割れなし)。
2015年 個人投資家へMRA情報提供開始、さらに投資塾を通してお金の知識を広め、ゆたかな生活の創造に貢献している。
趣味は、オーディオの機械いじり。ワインやウィスキーをたしなむこと。スポーツも好きでスキー、スケートは自称特級(そんなものはない)、エアロビック競技を10年ほどやっている(NAC マスター男子シングル 9連覇中、2014-2016日本選手権千葉県代表)。ただし、「かなずち」であり、球技も苦手である。