不良債権と株価回復

2025.9.17
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From:奥村尚
東京のオフィスより、、、

自民党の総裁は、
誰かがなるわけですが、

有力候補に
小泉進次郎氏の名前が
挙がっているようです。

経済政策を
経験していないという点で
経験不足ではあるのですが、

小泉氏の父親も
似た状況で
総裁になっています。

今回は、父親の時代に、
どのような経済状況、
相場状況であったかを顧みて、

今との対比を
あぶりだしてみようと思います。

小泉純一郎内閣(2001/4/26-2005/10/31)は、
総裁になる前、
厚生大臣にはなりましたが、

経済や外交を
担当する大臣には
なっていません。

でも総裁になり、
郵政民営化を行いました。

が、それには
大変な経緯を経ています。

民営化は国会で
衆議院は通過しましたが、

参議院は自民党から
謀反者が多く出て
否決されてしまうのです。

このころ(2003年 4月まで)の株価は、
1982年以来の
安値水準まで下落しました。

日経平均をみておきましょう。

内閣発足当初
1万4千円であった日経平均は、

実に7600円まで
下がっていきました。

その後、
小泉総理は衆議院を解散、
総選挙に打って出るのですが、

この選挙は
自民党を分裂に追い込みました。

郵政民営化を反対する議員には、
選挙では公認を認めず、

逆に対立候補を
自民党から刺客として送り込む

という前代未聞の強権姿勢を
貫いたからです。

この時の刺客、
小池百合子などは、

「くのいち刺客」などと
呼ばれていましたが、

当時の「くのいち」のひとりが、
高市早苗であり、

今度の総裁選の、
本命の一人でもありますね。

結局勝負に打って出た選挙では圧勝し、
衆議院だけで2/3 以上の議席を確保し、
郵政民営化を達成させますが、

それ自体は、
相場に影響はなかったように思います。

相場に影響があったのは、
不良債権問題の解決でしょう。

当時、90年の株式バブルがはじけたあとの
不良債権の問題が常にくすぶっており、

いつまでもかかると思われていた
その不良債権処理を4年で完了した
という断行ぶりが、

最も大きな手柄であった
といえましょう。

りそなグループへの
公的資金の注入もありました。

金融システムが
正常化したことに加えて、

日銀が量的緩和を
強化したことも大きく、

ようやく株価が上昇に反転した
ということにもなるでしょう。

2003年までは混乱で下落したのですが、
その後急回復に至りました。

2003年4月から1年ほど上昇、
その後1年ほど停滞、
05年3月以降は再び上昇に転じ、

退任する06年9月には
1万8000円まで大きくもち上げています。

2003年から1年間の上昇は
金融政策によるもの、

2005年からの1年間の上昇は
金融緩和に加え、
米景気の好調による企業業績好転です。

結局、融和とか分裂を
回避するような行動を
とらなかったからこそ、

経済も相場も良くなった、
という過去の事例は、
いろいろな示唆があるように思います。

奥村尚

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