From:不動修太郎
東京の自宅にて、、、
私が子供の頃、つまりは大昔の
昭和の30年台から50年台は
日本はずっとインフレでした。
1972年までは、
欧米のメジャーと呼ばれる石油元売り大手をはじめとする勢力が
産油国で油田を掘り当て、その原油を掘る独占的に掘る権利を押さえていました。
そういう大資本が安定して原油の価格を押さえていましたので、
日本での石油価格は安定していました。
ところが中近東を中心とする産油国が団結し、
OPECを結成して力を付けました。
OPECが欧米メジャーと交渉できる力を持ったので、
石油の価格を大幅に引き上げたのです。
これを「オイルショック」と言いますが、
日本では急激なインフレとなりました。
それがどれほどの
衝撃だったのかと言うと、、、、
日本の総合卸売物価は1973年に15.6%、
翌1974年でなんと31.4%上昇しました。
また消費者物価指数は1973年11.7%、
1974年で23.2%上がったのです。
しかもこれは1年間の平均なので、
短期間には年率換算で30%以上のインフレで、
『狂乱物価』とまで言われました。
こういう凄まじいインフレは、
日本の30歳までの人達には実感しにくいでしょうね。
この頃には「日本経済は石油価格が上がり過ぎて
もう全てがダメになる」という悲観論が巻き起こりました。
その頃は社会に不安が広がり、
石油の値段とはあまり関係の無いトイレットペーパーが
店頭からまったく無くなるという社会現象が起きました。
だけど良く考えてみると、いや考えなくてもわかることですが、
原油の価格が高くなったのは日本ばかりではありません。
世界中のガソリンの値段が高くなったので、
燃費のいい日本車が売れるようになりました。
日本の春闘というのは自動車、電機労連など
大企業の労働組合の賃金引上げ運動の事です。
最近では春闘というのは死語に近いですが、
当時の春闘での賃上げ率は1973年が20%、
1974年で33%上昇でした。
春闘は大企業の賃金引上げなので
多くの産業の平均ではありませんが、
当時の日本の大企業の賃金の
引き上げ率はインフレ率を上回っていたのです。
例えば1972年に年収が500万円の人ならば、
翌年には年収が600万円!
その翌年はそれの33%アップなので、
798万円という計算になります。
春闘の賃金アップは平均なので、
役職が上の人はもっと給料が上がった人が多かったのです。
日本の経済が発展し、人口が増えていたので、
当時はインフレになったと言われています。
それは正しいけれど、
石油をはじめとする資源の価格が
上がっていたことも大きな要因でした。
ですから今は地下資源の価格が
一時期よりも大きく下がっているのが
日本のデフレの原因の一つでしょう。
ある国がインフレか逆にデフレになのかで、
その国の通貨の為替は影響を受けます。
ですからFXで勝つためには、
その通貨を使っている国のインフレ率、成長率を調べることが大切です。
不動修太郎
・ジャパンインベストメントスクール講師
・株式、FX、海外不動産など投資全般に精通
・現役サラリーマン投資家
大学卒業後、メーカーに勤務。1984年頃より国内株式投資を開始。東南アジア赴任中、アジア通貨危機という経済的激動を実体験。アメリカ、中国などへ100回以上の訪問で、語学と国際金融感覚を養い、海外での投資を始める。99年から、香港、ベトナム、ロシア等株式投資、海外預金、FXなどを開始。サラリーマンを続けながら、投資活動を通じ、多数の富裕層、著名人と親交があり、高額セミナー講師、会員制クラブの顧問となる。
また、これまでの投資経験、海外での経験から得た、幅広い知識と信頼感のある人柄が人気を呼び、立場が同じサラリーマンや投資の勉強を始めたいという女性まで幅広く絶大な支持を得る。