From:奥村尚
東京のオフィスより、、、
1989年のバブルが
なぜ終わったのかを
前回おさらいしました。
今回は、
そのバブルが
どのような曲線を描いて
下落していったか
を見ていきましょう。
1989年末にピークを迎えた
日経平均は、その後2年かけて
一気に半分近くに落ち込みます。
株価は、定額で
上がったり下がったりせず、
定率で動きます。
定率とは、
現在の株価に対して
一定の比率をかけることなので、
今大きな価格であるときは、
大きな額が変化します。
今小さな価格であるときは、
小さな額が変化します。
つまり、
上昇時は、最初のうちの
まだ上がる前の数字、
つまり小さい額で変化し、
上がってきた後半は
大きい額で値動きします。
下降時は、
すでに上がっている
大きな額なので、
最初から大きい額で変化し、
下がってきた後半は
小さい額で値動きします。
バブルが崩壊した
1990から2年間の下落を
実際の日経平均の動きにあてはめると、
毎営業日に対して、
0.013%の下落をしていた曲線と一致します。
この推計曲線は
平均的な説明であり、
実際には、さらに
大きな変化をしながら、
この曲線に沿って動いた、
ということになるでしょう。
ちなみに、この期間に
イラクによるクェート戦略(90年8月)、
湾岸戦争(91年2月)なども起き、
94年11月にはドル円レート96円と
100円を大きく割り込む円高にもなり
さらに95年4月には80円も割り込みました。
阪神淡路大震災(95年1月)、
オウム真理教のサリン事件(95年3月)なども起き、
まさに日本は泣きっ面に蜂という状態でした。
奥村尚
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・ジャパンインベストメントスクール講師
・マーケット アナリスト
・マーケットの魔術師
20兆円もの運用資産をもつ米国大手ヘッジファンド株式投資部門スーパーバイザー、自身も日本でヘッジファンドを主宰。日本証券アナリスト協会会員。
1987年、都立大学大学院工学研究科修了(テーマは人工知能)。日興証券入社。投資工学研究所にて、数々の数理モデル開発に携わる。スタンフォード大学教授ウィリアム・F・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)なども手掛ける。
2000年 東証マザーズ上場第一号のインターネット総研で金融事業を統括。
2002年 イスラエル天才科学者とベンチャー企業設立、人工知能技術を商用化し空港に導入。
2004年以降は、金融業界とIoT業界の交点で活躍。最先端の人工知能とアナリストの相場適応力を融合させた投資モデルMRAを完成し、内外の機関投資家に提供する。この投資手法は、最低25%/年以上の収益を「MRAを使う誰にでも」もらたしている(一度も元本割れなし)。
2015年 個人投資家へMRA情報提供開始、さらに投資塾を通してお金の知識を広め、ゆたかな生活の創造に貢献している。
趣味は、オーディオの機械いじり。ワインやウィスキーをたしなむこと。スポーツも好きでスキー、スケートは自称特級(そんなものはない)、エアロビック競技を10年ほどやっている(NAC マスター男子シングル 9連覇中、2014-2016日本選手権千葉県代表)。ただし、「かなずち」であり、球技も苦手である。