From:高橋陽子
都内の自宅より、、、
告白します。
今日はちょっと
プライベートな事をお話します。
株とはちょっと違いますが、
ご容赦ください。
私の20代の時の職業は派遣社員でした。
3か月契約。年収は240万円。
派遣時代は、リストラが横行していて。
社員のクビを切る前に、まずは派遣から。
と、順番に切り捨てられていきます。
ちょっとこの会社、業績悪いな。。。
と思っていると。リストラの噂が。。。
そうなりますと、派遣仲間が
順番に会議室に呼ばれる訳です。
勿論、契約更新
しないとの告知の為です。
そんな落ち着かない
状態ですから、生活の為に。
昼は派遣、土日は
ガソリンスタンドで給油のバイト、
夜は夜で、お寿司屋さんのアルバイトをしていました。
小さいアパートの一室は
寝る為だけのものでした・・・
その時の唯一の楽しみは、
お寿司屋さんの職人さんが作った
卵焼きをお持ち帰りして食べられること(笑)
その当時は、TVで何が流行ったとか、
世間ではどんな事件があったのか。またどこかに
遊びに行ったとか、そんな記憶が全くありません。
仕事の記憶だけです。
そんな殺伐とした毎日でした。
そんな私に転機が訪れたのが、
ある会社で派遣をしていた時です。
その会社で、派遣社員→
契約社員→外部委託業者として独立。
と、トントン拍子に
派遣地獄から脱することができました。
今考えても、本当にラッキーでした。
もうバイトを掛け持ちする必要もなく。
生活に希望とゆとりが出たのです。
そして独立という自分の人生では
ありえないラッキーに有頂天になっていました。
もちろん、仕事もめいっぱい全力投球。
昼夜問わず、依頼がくれば仕事をした時期です。
その当時の年収は約800万円
趣味は通帳を眺めること(笑)
完全に足が地についていませんでした。
通帳にお金がある嬉しさに酔いしれ。
今まで、何も買えなかった分、
爆発するように好きなものを買って収集したり。
私の場合はおもちゃでした。
ブリキのおもちゃの博物館で有名な
北原さんの経営するおもちゃ店に足しげく通ったものです。
自分バブル時期。
と呼んでいます(笑)
しかし、バブルという
ぐらいですから、バブル崩壊もある訳ですね。
崩壊の兆しが表れたのは、
業者全員が会社に呼ばれ。
委託の料金値下げの
告知があったあたりです。
また、同業者が忙しさの
あまり倒れることもしばしば。
この仕事は、そんなに
長くやってはいけない。
と感じ始めていました。
その時期からです。
株式投資を始めたのは。
生活の「保険」として
時間を割くようになっていました。
とは言え、自己流でしたので、
全然儲かってはいませんでしたが。
決定打はリーマンショック・・・
株は大損失。
一日に何度も来ていたメールや
電話での仕事の依頼がぷっつり無くなったのです。
同業者の中には、会社がつぶれたり、
または仕事が来ないからと見限って
ビル清掃のバイトをする人までいました。
あんなに楽しく収集していた
おもちゃのコレクションも。
少しずつ売りに出し・・・
自慢のガラスケースの中は
からっぽになりました。そこからの
地獄をお話すると長くなるので割愛しますが。。。
自分バブルの時期は、
気をつけてください。
対策を講じないと、その後、
バブル崩壊が待っているかもしれませんよ。
私の様に。。。
また、物を収集するように
なったら気をつけてください。
プチバブルの時期特有の症状です(笑)
今は、お陰さまで生活にゆとりがあります。
ただ、以前の様に物を
収集したり、浮足立ったりはしていません。
1度、底を知ったからですね。
底を知るのも、悪くはないですが、できれば
これを読んでいる方には知って欲しくないなぁと思っています(*^_^*)
人生には色んな事が起きますが。なるようになる。
でも、何か起こる前に対策は取っておくと楽ですよ。
それが人生の底を
知った私の結論でしょうか(^_^)/
高橋陽子

・ジャパンインベストメントスクール講師
・美魔女株講師
・現役プロトレーダー
株式投資歴10年。講師を始めてからは4年。
東証一部某電機メーカー、アパレルメーカー勤務を経て独立。独立後に株式投資と出会い、現在は個人投資家兼株の学校の講師を務めている。株式投資は0からのスタートだったが、藤井百七郎を師匠として株式投資を学びながらも独自の売買法を編み出し、逆転的、相場の一瞬の隙間を狙った投資手法が認められ、ジャパンインベストスクール講師を任される。これまでに1,000名以上の個人投資家の育成に携わり、個人投資家向けに有料で銘柄の配信をするなど情報メディア、ストックボイスや株主手帳にもコラムを載せるなど新たな分野への活躍も期待されている。「トレードは朝のたった30分と逆張りトレードが得意技」