From:奥村尚
東京のオフィスより、、、
ここ最近の株価の上昇は、
目に見えて凄いと
言い切れる勢いがあります。
この数日は落ち着いていますが、
こうした
「凄い相場」というのは、
日本の長い歴史で
数多くあります。
そうした歴史から
学べる事が多いのではないかと考え、
何回かに分けて、
過去の凄い相場をおさらいしてみます。
まずは、
1950年7月から
1953年11月までの相場です。
グラフの期間は
3年強、1248日間です。
この年代の記憶を
明確に持っている方は
少ないでしょう。
というか、
生まれていない方が
大半だと思います。
僕もそうです。
いわゆる、戦後の時代でしたが
どういう時代であったか
いろいろな資料で確認しておきます。
日本は、
GHQ(General Head Quarters)に
占領されており、
外交、貿易など
重要な決定はGHQの支配下で
許可が必要でした。
この状態は、
米国と平和条約が締結される
1952年4月まで続きますので、
この相場は
その期間を挟んだ上昇でした。
1950年は、
吉田内閣の時代で
池田勇人は当選初回で
大蔵大臣に抜擢されていました。
前年に、1ドル=360円という
固定レートを定めた(ドッジライン)のですが、
それ以前は、
1ドル160円から600円という
複数レートがはびこっており、
とても国際市場への復帰が
できなかったのです。
しかし、
360円というあまりの円安で
日本経済は世界経済にリンクされた反動があり、
ドッジ不況と呼ばれる
不況になりました。
東証の株価は
史上最安値85.25円(7月6日)
を記録します。
これは
日経平均最安値です。
上記提示した期間は、
ちょうどそれ以降の
上昇過程ということになります。
1953年2月4日に、
474.43円という
この期間の最高値になりましたので、
最大5.56倍まで
上昇したことになります。
このピークからの下落は
1953年4月1日の295.18ですので
約38%下落していますが、
なにしろ不安定な
社会情勢だった時期ですから、
参考にはしない方がよいでしょう。
そのほか
この1950年をみておくと
聖徳太子の千円札発行、
朝日新聞と毎日新聞が戦後はじめての印刷を開始、
サントリーオールド発売、
日経平均が現在の計算方法で
日経平均株価を算出(9月7日)、
などなど、戦後の復興が
本格化していた時代であることが
わかります。
奥村尚
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・ジャパンインベストメントスクール講師
・マーケット アナリスト
・マーケットの魔術師
20兆円もの運用資産をもつ米国大手ヘッジファンド株式投資部門スーパーバイザー、自身も日本でヘッジファンドを主宰。日本証券アナリスト協会会員。
1987年、都立大学大学院工学研究科修了(テーマは人工知能)。日興証券入社。投資工学研究所にて、数々の数理モデル開発に携わる。スタンフォード大学教授ウィリアム・F・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)なども手掛ける。
2000年 東証マザーズ上場第一号のインターネット総研で金融事業を統括。
2002年 イスラエル天才科学者とベンチャー企業設立、人工知能技術を商用化し空港に導入。
2004年以降は、金融業界とIoT業界の交点で活躍。最先端の人工知能とアナリストの相場適応力を融合させた投資モデルMRAを完成し、内外の機関投資家に提供する。この投資手法は、最低25%/年以上の収益を「MRAを使う誰にでも」もらたしている(一度も元本割れなし)。
2015年 個人投資家へMRA情報提供開始、さらに投資塾を通してお金の知識を広め、ゆたかな生活の創造に貢献している。
趣味は、オーディオの機械いじり。ワインやウィスキーをたしなむこと。スポーツも好きでスキー、スケートは自称特級(そんなものはない)、エアロビック競技を10年ほどやっている(NAC マスター男子シングル 9連覇中、2014-2016日本選手権千葉県代表)。ただし、「かなずち」であり、球技も苦手である。